モンゴルにおける日本人抑留者を知り、追悼する集いに参加して

モンゴル
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5月18日(日)、ウランバートル郊外のノゴーンノールにある「日本人抑留者記念ゲル資料館 さくら」前の広場で開催された、「モンゴルにおける日本人抑留者について知り、追悼する集い」に参加しました。
(▶ノゴーンノールのFacebookページはこちら

■ モンゴルにもあった「日本人抑留」

シベリア抑留については日本でも広く知られていますが、モンゴルでも終戦後の1945年から1947年にかけて、約12,000人の日本人捕虜が抑留され、首都ウランバートルのスフバートル広場や橋の建設などに従事していました。

この資料館「さくら」は、土地を偶然購入したモンゴル人のウルジートクトフさんが、その場所がかつて日本人抑留者の強制労働地だったと知り、個人の費用で記念館を建てられたものです。日本人として、初めて耳にする歴史に、驚きと深い感動を覚えました。

■ 式典と100歳の特別ゲスト

当日は、同じアパートに住む長年モンゴルに住んでいる友人とローカルバスでノゴーンノールへ向かいました。現地にはJICAや大使館関係者、モンゴル人、日本人の方々が集まっていました。

式典では、日本国大使、資料館館長のウルジーさん、JICAモンゴル事務所やモンゴル日本人会の方々が次々とスピーチをされました。

そしてこの日の特別ゲストとして、1945年当時に日本人抑留者の収容所で看守を務めていたチョグソンジャブさんが、200km離れた地元からこの日のために出席されました。

当時20歳だったチョグソンジャブさんは、今年100歳です。しかし、その記憶は驚くほど鮮明で、人数や日付などの数字をすらすらと語られる姿に驚き、聞き入りました。

「日本人捕虜とはとてもよい関係を築いた。私たちは友達だった。
彼らから多くのことを学んだ。どんなに過酷な状況でも清潔を保ち、食事の前には手を洗い、作業の後は靴を丁寧に掃除していた」
といった当時のエピソードを、時にユーモアを交えながら語ってくださいました。

この日は気温が低く、とても寒かったのですが、参加者は貴重なお話に耳を傾けていました。
話が長くなるにつれ、周囲の人が心配して、チョグソンジャブさんにダウンジャケットやマフラーをかけてあげていました。

■ 資料館と記念植樹

式典の後は、「さくら」資料館の展示を見学しました。日本人抑留者に関する当時の新聞記事や写真など貴重な資料が展示されていました。4年前にチョグソンジャブさんを取材した新聞記事もありました。なんと96歳のチョグソンジャブさんは地元で自転車に乗っておられました。

その後日本国大使による桜の木の記念植樹が行われました。寒冷なモンゴルの地に、日本の象徴とも言える桜が根付き来年は花を咲かせることを願います。

■ おわりに

今回の集いで、モンゴルにおけるもう一つの戦後史を知ることができました。
抑留という重いテーマですが、その中での人間と人間の交流、誠実さ、そこから友好関係に発展していった歴史に感動しました。

今度、日本から友人がモンゴルを訪れたら、ぜひこの資料館に案内したいと思います。

今日のモンゴル語
Би Японы хоригдлуудын дурсгалыг хүндэтгэх ёслолд оролцсон.
(Bi Yapony khorigdluudyn dursgalyg khündetgekh yoslold oroltsson.) 

日本人抑留者の記念式典に参加しました。

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